100円節約〜基準の変化
以前のわたしは、100円を浮かせるために、かなり労力を使っていた。
給料日にATMの行列に並び、少しでも安い方を選ぼうと動く。
それが当たり前で、そうしないといけないと思っていた。
今振り返ると
それほどまでに、お金に対して余裕がなかったんだと思う。
判断の基準が、ほぼ100円だけになっていた。
100円浮かせるたびに

節約できた!!
こんな感じで、節約したつもりでいた自分でした。
でも、その100円の積み重ねが
本当に節約につながっていたかと言われたら
少なくとも、お金に困っている状態は変わらなかった。
最近は、考え方が少し変わった。
コンビニで100円の手数料を払って、すぐに用事が終わるなら、
そのほうが楽だし、時間にも余裕ができる。
並ばずに済む、すぐ自由になれる。
100円でそれが買えるなら、安いと思うようになった。
一方で、何でもかんでもお金で解決するわけじゃない。
夫の弁当は、今も作っている。
作るのは多少手間だけど
店まで行く時間や労力を考えると、そのほうが圧倒的に楽だ。
特に、わたしの勤務がフルタイムの日は
弁当があるだけで、気力の消耗が全然違う。
今でも、スーパーニッカがどこのスーパーで安いかは調べている。
ただ、買うと決めたら、スーパーニッカ目当てで一番安い店へ行く。
100円を浮かせるために、あちこち回ることはしない。
目的がはっきりしているなら、安い選択はちゃんとする。
自分がどれだけ楽できるか。
時間がどれくらい余裕できるか。
もちろん、それであまりにも高くなるようなら、安い方を選ぶ。
お金欲しいの「感じ方」の違い
考え方が変わってから、気づいたことがある。
少し余裕ができてから
お金が欲しいとか、稼ぎたいとか、
そういうことを、素直に思えるようになった。
余裕がなかった頃も、もちろんお金は欲しかった。
でも今思うと、あれは欲しいというより、
足りなくて、怖くて、焦っていた感覚に近い。
今のお金が欲しいは、それとはかなり違う。
やっぱり、仕事をしているからだと思う。
金額の問題というより
自分で稼いでいるという感覚と
いくらかでも、お金があると言うだけで
お金の見え方が変わった。
身も蓋もない話だけど
お金がなくて不安になるなら
どこかに収入先を確保しないといけないと、わたしは思う。
節約だけでは、不安は消えなかった。
お金と両親・父の影響
わたしは、お金と両親の関係はかなりあると思っている。
子どもの頃は、1人で生きていく力がなくて当然だった。
だから、お金は自分で稼ぐものというより
どこかからもらうもの
お小遣いのような感覚に近かった。
大人なら、自分で稼ぐ。
頭では分かっていたけれど
感覚はそこに追いついていなかった。
父は、何かあるとすぐ脅してくる人だった。
当時のわたしは
捨てられないように、祖母のお手伝いをしないといけない!
祖母の言うことをきちんと聞かないといけないって
その場ではそう思うけど
秒でそのことを忘れてしまう。
お金がなくなると
焦りや不安が噴き出すこの感覚が
何かと似ているとずっと感じていた。
だけど、それが何なのか分からない。
分からないまま
自分と向き合っていくうちに
お金がなくなると
焦りや不安が一気に噴き出すこの感覚と
父に脅されている当時のわたしの感じ方が
とてもよく似ていることに気づいた。
だから、お金と父が結びついていると考えると
物凄く腑に落ちる。
父が亡くなってから
その不安が少しずつ薄れてきている気もする。
父に対する執着が
少しずつ消えてきているのかもしれない。
それと、罵詈雑言ノートに
父への恨みつらみを書いて、少しずつスッキリしたせいか
お金への考え方も、少しずつ変わってきた。
今の立ち位置と、これから
自分と向き合い
夫とも向き合ってきて
ようやく、大人はどう対応したらいいのか
少しずつ分かってきた。
お金と父の関係については
まだ言語化できていない部分も多い。
もっと整理できたら
また別の記事として書きたいと思っている。
今回は
今の時点で言語化できることを
ありのままに綴った。
この文章が
誰かの役に立つかどうかは分からない。
でも
同じような感覚を抱えている人がいたら
何かのヒントになればいいなと思う。



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